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トップ  >  編集後記(県医師会会報誌 2011年5月)
まずは、東日本大震災で被災された方々に心からお悔やみとお見舞いを申し上げたい。
今回の巨大津波は想定外だったと言われているが、869年の貞観地震では、今回と同規模の津波が仙台平野に押し寄せていたという調査結果があるという。われわれは、およそ千年に一度の地震に遭遇してしまったわけである。千年に一度とはいえ、過去に起こったことだから、想定すべきだったと指摘する人もいるが、現実問題として、30メートルにも及ぶ防波堤を築くことは現実的ではない。自然の驚異の前には人間は無力である、人間が自然を支配するなんてことは到底でき得ないと諦観するしかないのだろう。むしろ、今後、被災者をどう救っていくのか、ずたずたにされた日本をどう再生するのか、災い転じて福となす、というくらいの前向きな発想でこの未曽有の危機を乗り越えていきたいものである。
一方で、放射線汚染に対する風評被害はなんとかならないものか。安全と宣言されている野菜ですら、東日本産というだけで買控えがおこる。給油所に福島県民お断りの看板、茨城ナンバーのトラックでの入荷拒否、などという話は、常軌を逸していとしか言いようがない。風評被害は、被災者から住む場所を奪い、収入を奪い、被災者を増幅することで、さらに人々を絶望へと追い込んでいく二次災害である。
放射線の人体に及ぼす影響については、多くの記述があるようだが、よく分かっていないというのが実際のようである。それゆえ、風評被害が拡大していくのだろうが、しかし、日本には原爆という経験があることを思い出したい。例えば、長崎の被爆は今回の原発事故の比ではなかったはずだ。それでも生き残った長崎市民は死者と共に、長崎の地に踏みとどまっている。そればかりではなく、独特の文化を持った風光明媚な港町として、全国から観光客が訪れ、今なお続く人類史上最悪のプルトニウム汚染地域で、食文化を堪能している。日本には、そういう実績があるのである。
風評は、自分を守るための自然の行動だという。風評は、正確な情報が流されていないからだという。しかし、根底にあるのは、完璧な安全(ゼロリスク)を求めることが可能であり、正義であると錯覚している現代人の考え方にあるのでないかと感じる。これをゼロリスク探求症候群というそうだが、ゼロリスクを求めることがリスクを振りまくとされる者への差別を煽り,風評被害の加害者となることを忘れるという特徴をもつという。まさに、現代の風評被害は、過剰なまでに安心、安全を追い求める、そんな時代が生み出した、凶器(狂気)なのかも知れない。